裸のランチ
今日の画像:ディズニーリゾートではなく、スペインはアルハンブラ宮殿に近いとあるレストランで撮った本物のジプシー。眼帯はダテじゃない。
彼等は観光客相手に芸を見せたり靴磨きをしたりして日銭を稼いでいる。政府が定住するようアパートを提供しても、家具を持ち去るだけで決して安住を求めない。煙草の値段が半端でなく高い現在、彼等は吸殻を拾えずに困っているんではないだろうか…。
『裸のランチ』 (1992年米)
監督・脚本 デヴィッド・クローネンバーグ 原作ウイリアム・バロウズ
主演 ピーター・ウェラー ジュディ・デイヴィス ジュリアン・サンズ
字幕翻訳 中沢新一
20世紀最大の禁断の文学、ついに映像化!
■ヴォーグ誌 麻薬のように強力で、セックスのように堪えきれず、マルクス兄弟のように可笑しく、ホラー映画のように恐ろしい。
■中沢新一 絶望にみちた世界を描いたように見える「裸のランチ」は、不思議なことに、もっとも力強いやり方で、アメリカの希望を語っているのである。
(当時の広告より抜粋)
ギンズバーグ(以下G):ブライオン・ガイシンについて、話してくれませんか。また、カット・アップのテクニックはどのようにして生まれたのですか?(略)
バロウズ(以下B):カット・アップは僕ではなく、ブライオン・ガイシンが創ったものだ。これは実に画家の技術なんだよ…、当時の絵画の世界ではかなり古いコラージュ手法の延長といってもいい。人間の知覚作用の過程に極めて似ている。
例えば、目の前の風景を描いたとする。その間画家は時間という要素を全く無視していることになる。画家が描いている間も景色は刻々と変化しているわけで、雲が姿を変えたり、他のいろいろなものが変わっていく。
もしも誰かが時の無い真空地帯で創作しているとしたら問題はないけれど、そんなことは現実にはあり得ない。だから僕は、その辺をちょっと散歩してくるといいと言っているんだ。で、キャンバスに見たものを描く。見たものは、断片のはずだ。車に遮られた人間の上半身だったり、店のショーウィンドウに映ったものだったりするはずだ。
G :フムフム、君が夢想していたなら、自分自身の考えが見えたかもしれない。
B :そうさ、そうとも、そして、それが現実と交差するんだ。僕は発見したんだが、君は気がついているかなあ…、何かを見たとき、何を考えていたか。考えていることというのは、見ている事に影響されている、ということだ。(略)
G :ガイシンは、『書くことは、描くことに比べて五十年も遅れている』と指摘してる。それはダダイストとか初期のコラージュ・アーティストの視点からだけれど。
B :そう、それに…これは知覚作用の幾つかの事実に良く似ているんだ。窓の外を見る度に、意識は無作為にカットされる…。描いたり、書いたりするふりをしてみても、それは人間の知覚、認識の事実とは一致しない…真実でないものでしかないのだ。
(1992 Switch ウィリアム・バロウズ特集より抜粋)
◇
平野氏の日記を読んで、昔、妹が「お姉ちゃん、バロウズって知ってる?」と聞いてきたので、「バローズってターザン書いた人のコト?」と答えて煙に巻いた事を思い出した。
妹は読書家でもオタクでもなかったので、どうやらバロウズは今オサレな人の間で流行ってるらしいと察しをつけた。
なにぶん昔の事なので、自分がどうしてバロウズを知ったか全然覚えていないが、連想的にティモシー・リアリーとか『アルタード・ステーツ』とか出てくるので、意識の変容とかSF的な興味からで文学的興味は一切なかったと思う。
多分、時系列的に遅れてやってきたF・K・ディックの『ブレードランナー』ブームやウィリアム・ギブスンを代表とするサイバーパンク小説、大友克洋の「アキラ」などのオタクとサブカルとの垣根を越えた大ブームと同じくらいじゃなかったかしら。あと、「ツイン・ピークス」とか。
人間の記憶や認識に焦点を絞った作品群。これらを経験した人達は多分『メメント』がブームになった時、新鮮味を感じなかったんじゃないだろうか。『攻殻機動隊』ですら。
それはさておき
「お姉ちゃん、バロウズって」と妹に言わせた誰か…彼氏だか、ファッション誌のライターだか、出入りしてたクラブで紙に沁みこませたドラッグを売ってた兄ちゃんだか判らないが、多分彼等もきっと、「裸のランチ」数ページをパラパラ拾い読みして後書きを読み、放り出してから「バローズがさぁ」と、いかにも内容を理解した風に吹いていたと思うねw
難解と言うより支離滅裂。冒頭のギンズバーグのインタビューにバロウズが答えているように、人間の知覚、認識の事実に書く事を一致させようとすれば、断片的で錯綜する電波のような文章にならざるを得ないでしょ。
絵画でそれをやったピカソなどの作品にしても、キュビスムやシュルレアリスムなどの知識なしでは一般的には理解し難い。理解していた所で、絵画と違って小説だと一見意味不明な文章の羅列に延々付き合わなくてはならないのだ。
意味の通った幾つかの文章を切り刻んでバラバラにし、断片をランダムに繋ぎ合わせたような代物を読めますか?詩ならともかく。しかも、日本の殆どの読者はそれを原文では読めないから余計始末が悪い。
ちょっと道が逸れるが、現代音楽の世界ではテープレコーダーが出現した時、すぐさまカットアンドペーストと言う手法で音楽を再構築する試みがなされた。言うまでもなく、テープを切り刻み順序を変えて貼り合せるのだ。
時間を定着させることも逆行させることも速度を変える事も自由自在、神の力を手に入れた如く、流れて消え行くのみだった音楽を摑まえた彼らの興奮を推して知るべし。
だがそれも程なく沈静化する。要するに、既存の音楽の破壊より先に中々進めなかったのだ。
バロウズの試みはまた、音楽を概念から変えようとしたジョン・ケージの4分33秒により近い気がするが、…まあどうでもいいや。どっちにしろ、聴けたもんじゃないし…つか聴けないしw
私は旦那が老後の楽しみに買ったジョイスの完全翻訳版「ユリシーズ」が駄洒落と注釈だらけで読めないのと同じ理由で「裸のランチ」は読む気にならない。また、読み通すだけのモチベーションもない。
つまり、二、三行読んで本を閉じたような者が偉そうにここまで吹いてきた訳w
そういう訳で私のバローズ体験は、ギンズバーグが「お手柄」と絶賛した“喋る巨大肛門付きタイプライター”が登場するクローネンバーグの映画化作品と、バローズ本人がラスト近くに登場する『ドラッグストアカウボーイ』、現代の荒みようを鑑みて今となっては牧歌的とすら言える、自身の麻薬体験を綴った文壇デビュー作「ジャンキー」を読んだのみ。
ちなみに、ターザンシリーズを書いたのはエドガー・ライス・バローズ。「裸のランチ」はウィリアム・シュワード・バロウズだかんねw
平野氏が映画だけ観たのか、小説も読んだのか判らないが、彼がバロウズを口にするのは何だか面白い。
ジョン・アップダイクが書評で「裸のランチ」のことを、史上最凶の小説と書いたそうだが、500年に渡って血を喰らい記憶と意思を刻み続けてきたアーカードの内面世界は、表現法はともかく、裸のランチよりひどいんじゃないかと思うし、平野耕太と言う漫画家には最凶と言う漢字が持つ雰囲気がしっくりくると思いませんかw
懐かしいバロウズ爺様、「ジャンキー」で麻薬常習者はやらない者より若さを保てるとか凄いこと書いてたけど、長生きしたなあ。実は吸血鬼だったんじゃないの?
…いや、吸血鬼は悪魔祓いなんかしないかw
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| YouTube - Hellsing: The Birds of Hermes |
必見!! 神フラッシュ
YouTube - Battle Without Humanity
キルビルのテーマにのせて…うおぉカッコイイ!!
映画予告篇風 女王陛下に愛された殺しのエージェントw
YouTube - Hellsing - Kill in the name of god amen
再臨・片翼の天使にのせて…
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ドイツ版若本?神父がひたすらカッコイイ
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ドイツ語吹き替え版Hellsing
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中田氏の、音痴な少女の歌声をあてると言う怪演が見られる。脳内でアーカードにカラオケマイクをしっかり握らせてからどうぞw
YouTube - If You Were Gay Anderson
「この戦いは私達が触れ合ういい口実になったわね」「ええホントよね」
| YouTube - Hellsing - All Your Base |
こんな神父は嫌だ
以前にも紹介したけど、まだ見ていない方の為に…
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